会社案内
創 業 文 久 2 年
Kodama Nori
Kodama Nori
児玉海苔株式会社
コダマノリ カブシキガイシャ
〒734-0061
広島市南区向洋中町2-6
TEL 082-282-2335
FAX 082-282-7877(24時間受付)
営業日:月 ~ 金曜日
(土・日曜日・祝日はお休みです)
営業時間:9:30 ~17:00
(急用でお休みすることがあります)
E-mail : kodamano@d1.dion.ne.jp(24時間受付)
Yohoo!
こちらの地図も参考になさってください
文久2年(1862年)11月
初代 児玉伝次郎により創業
明治24年 1月
二代 児玉倉太郎 継承
昭和 3年 9月
三代 児玉芳郎、児玉倉太郎襲名、継承
昭和30年12月
向洋大原町より現在地に移転
昭和31年11月
児玉海苔株式会社を設立
昭和35年 8月
四代 児玉俊介 継承
平成16年 1月
五代 児玉 新 継承 現在に至る
◇ ◇ ◇
文久2年、広島県仁保村向洋(現、南区向洋大原町)にて、
向洋地区を主とする市内産の海苔買付販売を始める。
明治20年頃には、大阪の商店と電報を利用して取引を始め、猿猴橋河口より帆船にて海苔を運搬した。
昭和に入り、山口県産の海苔の買付も行い業務を拡張し産地問屋として営業する。
(向洋地区は昭和15年頃まで海苔の生産をしていたが、埋立によりできなくなる)
現在は、国内産海苔問屋及び海苔加工、業務用海苔、進物用海苔、家庭用海苔の販売をしている。
この欅の看板は昭和初期に三代・倉太郎が
厚狭を海苔の生産地として開拓したことで、
山口県梶浦漁業組合から頂いたものです
児玉海苔が大好きなご家族
(H27年7月)
◇商標の について
当家の屋号が‘タオヤ’、この‘タ’を‘田’と表し商標にしたものです
◇文久2年(1862年)は、いつごろ?
・江戸時代の末、文豪 森鴎外が生まれた年です
・第14代将軍・徳川家茂と皇女和宮が結婚した年です
・広島城下で砂持加勢(すなもちかせい)が1回だけ行われた年です
おまけ
砂持加勢(すなもちかせい)って?
江戸時代の物資の運搬の一翼は太田川の船運でした。
放っておくと川床に砂がたまり、船の通航の障害、洪水などおこしていたようです。
このため広島藩は町民に命じて定期的に川ざらえを行わさせていましたが、
これは町民にとって大変な重労働でした。
「砂持加勢」は、川底の砂をさらって運ぶ町民を応援する(加勢する)ため、
周りの者が囃し立ててお祭り騒ぎをしたものです。
幕末の頃、京、大坂(大阪)を中心に行われるようになりました。
広島では文久2年(1862年)に町民が藩に自ら願い出て許可され、
砂持加勢を行った記録が残っているそうです。
それには各町が、それぞれ町名にちなんで装いをこらした山車(だし)を
中心として仮装して曳き幟を押し立て、囃し立てて練り歩きました。
5月7.8.9.11.12.13日と6日間、計50余町が日毎に分かれて大パレードをしており
広島城下は町民総出のお祭り騒ぎになったということです。
「砂持加勢」は広島の自然と人との関わりの中で生れた水の都、広島らしい祭りです。
H29年10月1日【第10回・砂持加勢まつり】が
広島市中央公園西側河岸緑地(基町ポップラ通り)周辺で行われました。
緑の上の赤いステージ、視線を少し上げると青空、時おり吹く川からの風
広島らしい手づくりのお祭りでした。
児玉海苔(株)、協賛しました。
らっしゃー♪ らっしゃー♫
平成27年6月に「元就。」のロケがありました!
突然でした!アンガールズの田中さんが
袴姿に酒樽を背負った、あの姿でお店をのぞいているんです。
たまたま地元のお客様がいらっしゃり、ずいぶん前のお話をしてくださいました。
心臓はバクバクでしたが、おかげさまで楽しく会話ができました。
「うまいでがんす」を向洋バージョンで言ってくださいました。
(台本もないのに一度聞いて覚えるんだから芸能人って、スゴイ!)
実物は背が高く、瞳のきれいな、気さくな方でした。
再放送、再再放送とあり、「元就。を観た!」と初めてのお客様が来られます。
また「元就。の海苔、ください」と言われる方も♪
ありがたいでがんす
うれしゅうがんす